水郡線SLにみんなで手を振っちゃおう♪プロジェクト

「本編」常陸大宮CM

私たちのこのプロジェクトがいちばん大切にしたのは、楽しさ、でした。SLに手を振る。笑顔で手を振って、歓迎する。ただそれだけのシンプルな企画でした。でも、このプロジェクトに関わったみんなが、それぞれに楽しみました。準備も楽しかった。本番もとても楽しかった。市民が企画し、市民が呼びかけ、市民がそれに応えました。そして、プロジェクトは、今も走り続けています。メンバーが、このすばらしい「常陸大宮のCM」を完成させました。私たちは、こんな常陸大宮市が、自慢です。常陸大宮は、すてきな、ところです。この続きを、いっしょに走って行きましょう!(C)DVD「ライナーノーツ」より

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nanase@qb3.so-net.ne.jp

常陸大宮CMの音楽を担当した、ボストンの平島慎吾さんからのメッセージです。

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Hitachiomiya City Official Commercial Video -Full Version-
(Music by Shingo Hirashima)

More than two years have passed since the devastating triple calamities of an earthquake, tsunami and nuclear disaster struck Japan in 2011.
However, so many people affected by the disaster are still living in severe conditions. 
I was born and raised in Hitachiomiya and the city suffered from the earthquak.
I hope things come back to normal as soon as possible.
My heart is beating with you.

Shingo Hirashima
March/30/2013


「常陸大宮市CM本編公開に伴いその楽曲制作過程と音楽の在り方について」

私が生まれ育った故郷である常陸大宮市のCM本編が公開されました。私は音楽を担当させて頂きました。

まず東日本大震災により被災された方々へ心からお見舞い申し上げます。そして1日も早い生活再建と被災地の復興をお祈り申し上げます。私がアメリカに来る前の事ですが、私の実家の屋根も崩れ落ち、先祖の墓石も倒れ割れていました。あの日が私たちの生活にもたらした変化は計り知れません。しかし、あの日から私たちに起こった変化は、決して悲観的なものばかりでは無いと私は信じています。技術と行動力、そして教養を以て、皆様と一緒に明るい未来へと歩んでいける事を願っております。

このプロジェクトの実行委員長であり、私との日本/アメリカ間の連絡をとって下さっていた倉田稔之様、撮影/映像制作を担当されたStudio Piece@Tsuruyaの皆様、このプロジェクトに携われたスタッフの皆様、そしてこのプロジェクトに共感/参加して頂き、SLに手を振って頂いた全ての皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。また日本で行われた上映会も無事成功に終わった事を心から嬉しく思います。

純粋に音楽のみを届けたいという想いから、普段自分の楽曲制作についてお話する事は殆どありませんが、今回沢山の方々の協力のもと成功したこのプロジェクトの為にも、音楽家としての私個人の視点でお話致します。

このCMに使用して頂いた楽曲"Starlight Express -SL Project Version-"は、もともと私が高校生の時に作詞/作曲し、当時CDデビューしていたバンドで度々演奏していた"Starlight Express"という楽曲を、今回の映像に合わせてアレンジし直し、アメリカ/ボストンにて再レコーディングしたものです。

私がこのプロジェクトのお話と同時に、"Starlight Express"が音楽の候補に挙がっている事を伺ったのは昨年12月の事です。プロジェクト自体には共感し、光栄な仕事を任せて頂いたと感謝していましたが、当初自分にとってはあまりにも古い楽曲を提示されたため、不安や恥ずかしさからか別の楽曲を推薦するか、新たな楽曲を書き下ろす事を考えていました。ですが、日本のスタッフの方々が"Strarlight Express"を気に入って下さっているとのお話を受け、新たにもう一度録音し直す事を条件に"Starlight Express"を音楽に決定しました。演奏/録音技術はともかく、過去の自分の楽曲に対する愛情はありましたし、当時とにかく書いては歌いを繰り返し、そのまま置き去りにしてしまったのあの頃の楽曲の居場所が1つ見つかった気がして、音楽が決定してからは、次第に嬉しさや懐かしさがこみ上げて来て、楽曲と正面から向き合う覚悟が出来ました。丁度その少し前の11月に、ボストンのあるプロダクションの社長の方から、春にアメリカでCDデビューする話を頂いており会議を進めていましたが、そのレコーディングを後回しにして、プロジェクトの為のレコーディングを先に出来ないか社長にお願いした所、趣旨を理解された上で快くOKして頂き、レコーディングスタジオをお借りして制作がスタートしました。

昨年末からプロジェクトに関する打ち合わせや再アレンジを始め、年明けすぐにリハーサル、1月中旬に録音、そして映像に合わせた編集作業やディスカッション等のやりとりを日本の方々と繰り返し、最終版が出来上がる頃には2月の中旬になっていたと思います。

本来4分程度で完結しうる作品を、そのストーリー性やクオリティを保ったまま映像に合うように12分程度にまで延長する事、自分にとってタイムリーではない過去のロックな楽曲に手を加え、それを現在の自分なりにもう一度録音し直す事、私のボストンでの音楽活動と並行しながら日本とアメリカで共同制作を進める事、その全てが私にとって初めての経験であり課題でした。また今回の楽曲は勿論CDで出版する為ではなく、ただこのプロジェクトの成功のみを目指して制作しました。楽曲名を新たに"Starlight Express -SL Project Version-"としたのは、過去の楽曲の再利用とはいえ、私にとっては新たな挑戦が数多くあり、そういった過程やこのプロジェクトに対する敬意を示したかったからです。単に映像に合ったBGMを流すのではなく、常陸大宮市出身の私が音楽を担当することで、映像には映像で、楽曲には楽曲で独自のストーリーを持たせ、そこに共通項があるという事がクリエイティブであり、あえて私が高校時代に通学の電車内で書き綴った当時の楽曲を、現在の私の手で映像に添える意義があると感じました。

ここまでポップな楽曲を12分間聴き手を飽きさせず、なおかつ映像に合った演奏をし、録音/編集する事は予想以上に大変で、連日深夜までスタジオで作業をし、明け方家に帰る毎日でした。そんな肉体的にも精神的にも厳しい状況の中で、何よりも力を頂いたのが、映像の中の参加者の皆様の笑顔です。作業中にこのSL映像を見る度に、私はその沢山の笑顔に励まされ、今自分が音楽を制作している理由を再認識させられました。

これは私の個人的な見解ですが、私にとっては音楽、広く言えば芸術に、本来ライフラインとしての価値はありません。どんなに素晴らしい音楽も、荒れ果てた被災地では、一枚の薄汚れた毛布にも、一切れの乾いたパンにも、一張りの破れたテントにも敵わないでしょう。それでも、たとえ衣/食/住のどれ1つ満たされなかったとしても、それでもこの人生を賭す価値が音楽にはあると私は思うのです。小さな子供たちが下校道で友達と仲良くなる為の歌、女子高生たちがカラオケ店でただ大騒ぎする為の歌、サラリーマンたちが公園でふと口ずさむ為の歌、お年寄りたちが畑仕事で気合いとリズムを入れる為の歌、そして私がステージで私を生きる為の歌、そんな私たちの生活のすぐそばにある音楽は、きっと私たちの乾いた心を潤し、そっと背中を押してくれてきたはずです。そうやって音楽が皆様と共に生きていく事で、人々の心を救い、文化を高め、時代を切り取りながら存在し続ける限り、私は音楽を、もっと言えばポピュラーソングを書き続けるでしょう。それはどんな音楽よりも私にとっては意味があり、難しいものなのです。

形を残せず消えてしまう事の多い音楽を、このような形で皆様に届ける事が出来、また私を育んでくれた故郷に最も望んだ形で恩返しが出来た事を、心から光栄に、そしてありがたく思っています。皆様の人生の1ページに、一瞬でも私の音楽が響いたのであれば、これ以上嬉しいことはありません。

最後に、ボストンでこのプロジェクトの音楽制作に参加して頂いたプロデューサーのAtsushi Tanimuraさん、ピアニストのIttetsu Nasudaさん、ベーシストのHiroshi Tokiedaさん、そして協力して下さった全ての皆様、本当にありがとうございました。

平島慎吾
March/30/2013

予告3分バージョン↓